今回、患者さんにとって社会とつながる方法は、
私たち看護師にたくされていることを強く感じた出来事です。
ALS(エーエルエス)とも略され、筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう、以下ALS)は、
運動神経が侵される疾患で治療方法がなく、神経難病に指定されています。
これは手足だけでなく、固形物を飲み込めない、嚥下(えんげ)できない、呼吸ができないなど、
口や胃などの筋肉も萎縮(いしゅく)する症状がいずれは出現してしまいます。
そのようなALSの青山さん(仮)は人工呼吸器導入が目的で入院され、私が担当看護師となりました。
一度人工呼吸器を試着しましたが、「鼻と口から息が入らない。ダメ」と言われ、
次に再度試着する機会を待っている状況でした。
「医療処置・気管切開・人工呼吸器は望まない」という患者の意思表明
入院1週間が経った頃でしょうか、呼吸の苦しさを訴え酸素吸入(さんそきゅうにゅう)が開始されました。
酸素吸入が開始された後は、痰(たん)が多くなり、呼吸の苦しさも増すことで、自分の症状が急激に進んだことを自覚されたのでしょう。 本人から「医療処置・気管切開・人工呼吸器は望まない」という意思が主治医に伝えられ、家族も承諾されました。
しかし、本人の表現できない不安があったことと思います。
文字盤を使ってのコミュニケーション
その後は筆談する力もなく、50音が書かれた文字盤を使っての会話しかできなくなりました。
夜中も30分ごとに「吸引して」「鼻水ふいて」「頭の位置を変えて」など訴えが多くなった青山さん。
受け持ちとはいえ、24時間青山さんだけのケアに関わっているわけではなく、
特に夜勤時は他の患者のケアを行いながら、青山さんの訴えを聴かなくてはいけません。
患者さんと、時間を変えて向き合うこと
青山さんの心境はいかばかりかと頭で考えていても、日々の業務の中でじっくりと関わるゆとりもなく、時間だけが過ぎてしまっている事が多かったのです。
そのような関わり方しかできない状況が続いたある日。
私はゆっくり話をする機会を持たなくてはと反省し、ベッドサイドの椅子に座り50音の文字盤を使って青山さんと話をしました。
「Aさんの訴えを十分に聴けなくてごめんなさい。」
「いま、どんな想いですか?」
「いろいろとお話したいことがあるでしょう。」
とほんの少しの言葉で話しかけました。
文字盤を通すと、コミュニケーションはかなりの時間が必要で、患者さんの疲労も強いはずです。
ですが青山さんは、一生懸命話されるのです。
最後に、
「いろんな思いを言っていいですよ、話しやすい看護師に伝えますよ。誰がいいですか?」
と尋ねたところ、青山さんは私の顔を見て、私を指さしました。
私は何も言えませんでした。。。
何も言えなかったのは、 少なからず、十分に青山さんの事を見ていない、ゆっくりそばに居なかった、という罪悪感があったこと。それでも私の事を頼ってくれている事に、ありがたいという想いで、涙が止まらなかったからです。
社会との関係をつなぐ手段は看護師のみであるという事実
それから数日後、青山さんは永眠されました。自分の声で十分に訴えることができない患者さんにとって、
社会との関係をつなぐ手段は看護師のみです。
治療のすべがなく死が間近に迫ってくる患者さんにとって、 その不安を理解し、一緒に最後の時を迎えるのは看護師なのです。
私はこの時改めて、「患者に寄り添う看護」の意味を実感しました。
青山さんへの感謝の意を表すると共に、ご冥福をお祈り致します。