「箱根病院イノベーションチーム(通称HIT)」のメンバーが、
どんな事を考えながら日々の仕事に取り組み、
そして、どんな箱根病院の素敵な未来を思い描いているのかを紹介します。
HIT発足の経緯や想いについて詳しく知りたい方は、こちらの記事も御覧ください。
今回は、神経内科のA先生のインタビューです!
先生について
この4月で、医師としては17年目を迎えるA先生、
国立病院機構箱根病院に来られてからは、およそ2年半が経ちました。
週一回の外来診療・週二回の検査外来のほか、
病棟の患者さん30人近くの健康をみていらっしゃいます。
難病を前に、考える
箱根病院は、筋ジストロフィー症などの神経難病を取り扱います。
難病ですから、いわゆる普通の病院のように、
病気になって、病院に来て、治療をして、帰っていくといった、
一連の治療とはまた違う形態の医療になります。
患者さんは、残りの人生を、病気と共に生きる。
それを医療者や、ご家族がサポートするといった医療となります。
難病ゆえ、普通の病院とは違い「完治させる」ことが目標とならない現状で、
医療者は自分なりに目標をたて、患者さんをサポートする必要があります。
自分が、手を差し伸べられる側になった時を考える
先生は、
「自分が、手を差し伸べられる側になった時を考える」
と言います。
医師として患者さんに、
「難病なので現在の医療では治らない。
今後、病気の影響で体力が衰え、最後には亡くなってしまうかもしれないと、
と、はっきり伝えないといけないこともある。」
辛い環境でも、居心地の良い環境を目指して
もし自分が、医師からそう伝えられたら、真面目に悩むだろうし、不安になるだろうし。何でもいいから手を打って欲しいと想うかもしれない・・・。
そういった患者さんの気持ちに配慮しながら、そんな中でも自分がこんな風に手を伸べられると、少しほっとするな、
病気はつらいけれど、この病院でよかったな・・・」
と患者さんが想えるようなサポートを行いたい。
自分や箱根病院が、大病院のようにすべての事ができる訳でもないが、
辛い環境にある患者さんが少しでも笑顔になるように。
病院に関係するすべての職員が、
患者さんのために、居心地のよい場所を提供できるように、
少しずつでも努力をしていかないといけない・・・、
と考え患者さんに日々向き合っているそうです。
歴史を感じられる、箱根病院
箱根病院は、もともとは戦時中、陸軍の兵隊さんのための病院を基盤にできた病院です。
そこかしこ漂う、歴史的な風格が先生のお気に入りだそうです。
例えば、病院の入り口にある橘の木。
何故にここに橘なのか、わからないようですが、
橘と言えば、現在は京都御所にある紫宸殿の「右近橘、左近桜」。
もともと箱根病院は、陸軍の傷病療養所であったので、
海軍の桜と同じような意味もあって、右近橘、左近桜・・・
だから橘の木がこの地に植えられたのではないか・・・
と聞いたことがあるそうです。
かつては、傷ついて身体を思うように動かせなくなった方を支えた、歴史的背景をもつ病院が、今は神経内科として難病に取り組むようになり、今も昔も、動けなくなった人をサポートしている。
この先20年、30年たった時にも、歴史を引き継ぎながら、
その時の箱根病院が応えることのできるニーズに合った対応をしていく・・・。
そういう病院となれば、価値が高いだろう、
と先生は考えているそうです。
以上、神経内科医のA先生のインタビューを、お送り致しました!
引き続き、HITメンバーのインタビュー記事を掲載していきますので、
楽しみにしていてくださいね。